長らく続いた”武士の世”の始まりを生み出した源頼朝は、容姿が良くて、頭脳も明晰だったという(女性によくもてた!)。
一方で、のちに弟の源義経や従兄弟の木曾義仲を殺害するなど、自分を脅かすものは身内さえも消してしまう冷酷で非情な人物としても知られる。頭が切れすぎる彼は、すべて独りで決断しなければならず、だんだん、他の人間が信用できなくなってしまったのかもしれない。
でも、父親の義朝が’平治の乱’で敗れて亡くなり、母親や兄弟たちと引き離され、都から遠い地で”負けた家の人間”として育ったのだ。孤独な幼少時代が人格形成に影響を及ぼしたとしても仕方なかろう。
そんな頼朝が涙を流した記録がある。吾妻鏡に「御落涙」に続いて「数行」とあるため、何度も泣いたのだと。
それは、墓の前だった。
その墓は、佐奈田与一という名の武将とその忠実な部下たちのもの。「源氏再興」を掲げて挙兵した頼朝が、その第一歩を踏み出すきっかけとなった石橋山の戦いで、命を投げ出して先陣を切った武士たちだ。
日本の頂点に立った頼朝は、その幼少時代同様に独りだった。少しでも気を抜けば、自分が追い落とされるかもしれないぎりぎりの状況の中で、唯一信頼できたのは、自分の夢にかけて死んでくれた友だけだったのではないか。
ラベル:源頼朝